シリーズ 外科医のための感染症 コラム 血液培養はなぜ2セットか(と感度、特異度についてのちょっとした考察)
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シリーズ 外科医のための感染症 12. 術後下痢症の診断と治療
シリーズ 外科医のための感染症 11. 術後院内尿路感染の診断と治療
愛読していたMedically Important Fungiの翻訳を吉田敦先生たちがなられた。推薦文を書いたので、こちらにも転載する。密林からは手にはいらにゃいんですかね。
シリーズ 外科医のための感染症 10. 術後院内肺炎(HAP/VAP)の診断と治療
シリーズ 外科医のための感染症 9. カテ感染(CRBSI)の診断と治療
櫻井よしこ氏の「夫婦同姓は日本の文化だから」という意見は根拠薄弱だ、というブログを書いた。これについてもう少し考えてみる。
ぼくは「夫婦別姓は日本の文化」とは思わない。しかし、ここでは仮に櫻井氏の主張を受け入れて、「日本の文化だとしたら」という前提で考えてみたい。
「文化」の解釈には主観が入る。「鯨を食べるのは日本の文化か」に異論が出るのは、「絶対的に正しい文化というものの基準」が存在しないからだ。文楽、能楽あたりは日本文化であろう。歌舞伎もそうだろう。では、落語はどうか。漫談はどうか。漫才はどうか。コントはどうか。このへんから異論が出てくるような気がする。
このような主観が入る概念を議論すると「おれはこう思う」の主張が飛び交うだけで水掛け論になりやすい。だから、あえて相手の意見を一回飲み込んでみる、という度量と熟慮が必要になる。
というわけで、「夫婦同姓は日本の文化」を一回かっこに入れて受け入れる。
で、すぐにこの問題は解決することが分かる。仮に文化だとしても、それを制度によって日本のすべての人に強要する根拠がないからだ。
着物は日本の文化だが、誰も(国家も)着物の着用を我々に強要することができない。仮に強要したら、着物は窮屈で不自由なネガティブな存在となるだろう。着ても着なくてもよい自由が保障されているから、ぼくらは着物姿を美しく思い、好ましく思うのである。
夫婦同姓を日本の文化と呼んだってかまわない。でも、それは制度による強制を正当化しない。当然、夫婦別姓の人たちがいたってかまわない。他者に対する寛容は塾度のある文化の前提である。
強制しなければ夫婦同姓が消滅してしまうのだろうか。ぼくはそうは思わない。しかし、夫婦同姓が少数派になってしまう可能性は十分にあるだろう。しかし、文化はマジョリティーを占める必要はない。日本人の大多数は文楽を見たことがないはずだ。それでも文楽は素晴らしい日本の文化なのである。
ところで、ここだけの話、こっそりと教えておきます。相手の主張をいったん受け入れるのは、ぼくの太っ腹なところを示すためではない。議論に勝つときは、相手の根拠を受け入れ、その根拠そのものを使って反論するのが一番効果的で、ほとんど必殺の論破法だからだ。武術で相手の力を利用して投げ飛ばすように、議論は相手の論拠をそのまま使ってスマートに勝つのである。
献本御礼。こちらはよりマニアックなコンテンツを目指す人のためのワクチン本。トラベラーズワクチン、未承認ワクチンと、さらに上を目指す人のための本。とにかく豪華メンバー。小児と成人に別れているのが本書の特徴だが、日本の小児感染症の重鎮たちがほとんどそろっている。基本的に関東のメンバーが主ですが、うちの大路先生がばしっと入っています。あと、山本先生と渡邊先生も。氏家先生がちゃんとこういうところに顔を出しているのも、なんか前進。近先生がちゃんとサーバリクスを自分に打っているのに感心しました。ぼくも機会があったら、打ってみよ。やはり患者にやることは自分でも体験してみるのが大事です。
献本御礼。でも、実はその前に買ってました。実は第一版も買ったのだが、当時は「放射線科医のためのキャリアパスとネタ本」くらいにしか思ってませんでした。読みが甘かったと反省している。