見捨てられた島で、それでも何とかして任務を全うしようと、懸命に戦った栗林以下二万余の将兵たち。彼らは、その一人一人がまさに「精根を込め戦ひし人」であった。この御製は、訣別電報に添えられた栗林の辞世と同じ「悲しき」という語で結ばれている。大本営が「散るぞ悲しき」を「散るぞ口惜し」に改変したあの歌である。これは決して偶然ではあるまい。四九年の歳月を超え、新しい時代の天皇は栗林の絶唱を受け止めたのである。死んでいく兵士たちを、栗林が「悲しき」と詠った、その同じ硫黄島の地で。(282p)
via yasuyukima.typepad.jp
精神科医