sympathyとかempathyという言葉があるが、他者の苦しみを自らのものとするのは極めて困難だ。また、それが本当に可能であれば、我々医者のように日常的に「他者の苦しみ」につきあっている連中はとてもじゃないが、やってられない。ポール・ファーマーのような聖人かつ巨人か、狂人のみが他者の苦しみを我が身のそれと同化させつつ、日々の業務を行うことができる。聖人でもなく狂人でもない我々凡人にできることは、せいぜい「他者の苦しみ」の存在に自覚的でありつつ、「それはとても理解できないよねえ」と嘆息することだけだ。聖人でも狂人でもなく、かつ「俺は患者の気持ちになって診療している」という医者がいれば、それは偽善者だ。