大津市教育委員長がトンカチでパコンって殴られた件で
「教育現場に警察が介入するとは怪しからん、
あれは暴力ではなく単なるイジメなんだから。
イジメられる方にも非があるわけだし。ほっとけ。メシウマー。」
オレのみたネット上ではそう考えた人がわりと多かった。
それが、まさしくイジメそのものなんだけど
大津市教育委員会の論理で言えば
やっている側が「暴力を振るっているという意識や罪悪感」を持たなければ
イジメにはならないのか?ってことになるから
極端に言えば、教育委員長を殴ったのも
あれは単なる喧嘩でしょ?って、はい終了ってなりかねない。
そうしないために
警察が介入するわけでしょ。
イジメをなくすことは出来ないけれど
減らすためには
あらゆる手段をこうじたらよい。
イジメにも警察が介入してもいいでしょう。
アメリカもそれで
大分、学校での暴力が減ったって話だし。
大人の世界をみてもイジメがあるけれど
イジメで生じる自殺はもう少しどうにかしてあげたいよね。
大人達は
これまでのように
届かないメッセージではなくて
きちんとした本音を子供達にむけて発信しなければいけない。
子供達は我々と違ってまだまだ
敏感な情動を失っていないから、
大人のついたウソや矛盾を
ノンバーバルなメッセージとして
嗅ぎ分けている。
大人達もそれをわかっていながら
子供達の心を見て見ぬ振りをする。
それは
我々自身が自分たちの矛盾に気がついていて
恥じらってはいるからでもあって
子供達に理想を断言するのが恥ずかしいからでもある。
「お前がいうな」って、返されるのがオチだから。
しかし、
いま、
我々は
恥じらいを持ちつつも
きっぱりと
子供達に
メッセージを伝えるべき。
大人は矛盾だらけの存在だという事を。
しかし、
大人の真似をする必要のないことを。
逃げても良いことを。
逃げてもそれは彼らが負ける事を意味していない事を。
子供達には可塑性があることを。
謝罪してもよい事を。(謝罪しなければいけないではない)
謝罪してもそれは彼らが負けることを意味していないことを。
虐めることで
傷つくのは相手と自分自身であることを。
やったこと、やられたことが
消してしまえないのは悔しいけれど
いつか損きりしないと
前に進めないし傷が大きくなるからね。
学校を卒業するまで待たなくてもいい。
いま、方向転換すればいいじゃない。
みんな
戻っておいでってば。